名胡桃城を見る §237

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九鬼トシユキです。

去年に初めて名胡桃城を訪れ、
そして名胡桃城について勉強してみると、
よく真田家は自領を守り抜いたなぁと思います。

1582年に武田家が織田信長によって滅ぼされ、
その信長も間もなく亡くなります。
信長死去後、
旧武田家の領地争いが徳川家、北条家、上杉家の間で起こり、
小勢力である真田家が存続するには、
その強大な3勢力とうまく関わることが不可欠の課題。

まず上杉家を頼っては離反し、
次いで北条家を頼ります。
北条家と徳川家が激突すると徳川家につく。
北条家と徳川家が手を結ぶと、
徳川家を離反して再び上杉家を頼る。
その後で秀吉に近づいて臣従すると…

こうして真田家は家を存続させることができましたが、
徳川家と北条家が手を結んだとき、
両家の間で決められてしまった境界線の問題は残ったままです。
真田家の領地がある沼田や名胡桃などの上野国(群馬県)は、
北条家が好きにして良いということになってしまったんですよね。

この上野国の真田家領地問題は、
未解決のまま約7年の歳月が流れ、
最終的に秀吉による「沼田裁定」によって解決します。
沼田を含む3分の2が北条家の所領となり、
名胡桃を含む3分の1が真田家の所領になりました。

その間、
北条家は何度も沼田に攻めてきましたし、
徳川家も上田を攻撃しています。
徳川家と北条家を同時期に相手にし、
そして自領を守り抜いた真田家の力は恐ろしいほど凄まじい。



今日もありがとうございます!

「栃木の城+α」
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