九鬼トシユキです。
広島原爆投下から70年。
私自身、
戦争に関する書物を少しずつ読んでは、
あの戦争について学ぶ機会を増やしています。
戦争について学ぶ上で、
祖父の軍歴を県庁で調べました。
県庁にて、
陸軍の軍歴が調べられることを知ってから、
気がつけば1年以上の歳月が流れていました。
私のサボりと言えばサボりです。
本当は怖くて葛藤してました。
祖父は原爆投下時に広島にいた。
被爆者手帳もあった。
間接的に知っていた戦時中の祖父。
県庁で調べれば、
祖父が広島にいたことが分かるでしょう。
ただそれは、
祖父が被爆したことを知ることにもなり、
私自身も…ということです。
そんな葛藤を抱きながらも、
県庁に行く前から、
当時の広島の部隊の様子を調べみては、
「暁部隊」
と通称で呼ばれていた部隊がいて、
この部隊が原爆でやられた広島に入って救助を…
もしかしたら…!
県庁で調べた結果、
祖父は確かに広島にいました。
それだけではなく、
広島の方へ転属となり、
昭和19年からずっと広島です。
そう、
転属となったのは、
「暁部隊」だったんです。
さらには、
「暁部隊」の中でも、
祖父がいた隊の駐屯地を調べ…
非常に爆心地から近かった。
あまりにも近すぎた…
わずか3キロくらいです。
また祖父は、
「山1つ越えたところにいたから助かった」
なる言葉も残しており、その意味も分かりました。
祖父がいたと思われる場所がそれですね!
山=遠い場所にあって高いと思ってましたが、
爆心地に近い場所にある小高い丘のようです。
祖父は幸い、
被爆の影響は出ませんでした。
出ていたら私はいないわけですが…
祖父が言う「山」の意味って、
被爆の影響が出なかったことを思うと、
あの山のおかげかもしれない…
ということなのでしょう。
あるいは、
家族を安心させる方便だったのかもしれません。
爆心地から近くにいただけではなく、
爆心地に入って救助活動もしたはずです。
広島の原爆について知ることは、
私にとっては祖父との対話です。
最後になりますが、
原爆によって亡くなられた多くの方々に、
謹んで哀悼の意を表します。
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