祖父との対話§196

九鬼トシユキです。
広島原爆投下から70年。
私自身、
戦争に関する書物を少しずつ読んでは、
あの戦争について学ぶ機会を増やしています。
戦争について学ぶ上で、
祖父の軍歴を県庁で調べました。
県庁にて、
陸軍の軍歴が調べられることを知ってから、
気がつけば1年以上の歳月が流れていました。
私のサボりと言えばサボりです。
本当は怖くて葛藤してました。
祖父は原爆投下時に広島にいた。
被爆者手帳もあった。
間接的に知っていた戦時中の祖父。
県庁で調べれば、
祖父が広島にいたことが分かるでしょう。
ただそれは、
祖父が被爆したことを知ることにもなり、
私自身も…ということです。
そんな葛藤を抱きながらも、
県庁に行く前から、
当時の広島の部隊の様子を調べみては、
「暁部隊」
と通称で呼ばれていた部隊がいて、
この部隊が原爆でやられた広島に入って救助を…
もしかしたら…!
県庁で調べた結果、
祖父は確かに広島にいました。
それだけではなく、
広島の方へ転属となり、
昭和19年からずっと広島です。
そう、
転属となったのは、
「暁部隊」だったんです。
さらには、
「暁部隊」の中でも、
祖父がいた隊の駐屯地を調べ…
非常に爆心地から近かった。
あまりにも近すぎた…
わずか3キロくらいです。
また祖父は、
「山1つ越えたところにいたから助かった」
なる言葉も残しており、その意味も分かりました。
祖父がいたと思われる場所がそれですね!
山=遠い場所にあって高いと思ってましたが、
爆心地に近い場所にある小高い丘のようです。
祖父は幸い、
被爆の影響は出ませんでした。
出ていたら私はいないわけですが…
祖父が言う「山」の意味って、
被爆の影響が出なかったことを思うと、
あの山のおかげかもしれない…
ということなのでしょう。
あるいは、
家族を安心させる方便だったのかもしれません。
爆心地から近くにいただけではなく、
爆心地に入って救助活動もしたはずです。
広島の原爆について知ることは、
私にとっては祖父との対話です。
最後になりますが、
原爆によって亡くなられた多くの方々に、
謹んで哀悼の意を表します。
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