九鬼トシユキです。
写真は宇都宮市にある「慈光寺」
1516年に宇都宮成綱によって開基された寺で、
宇都宮城の鬼門(北東)に位置します。
慈光寺を訪れると「赤門」が眩しいくらいに輝いて建っているのが印象的です。
1778年に建てられた赤門は太平洋戦争で焼失してしまい、
現在建っている赤門は2008年に復興されたものです。
その慈光寺を開基した宇都宮成綱。
宇都宮家の17代当主です。
彼は猛将です。
合戦において1度も敗けていません。
1度もです。
合戦に1度も敗けたことがないという点だけを見ても、
多くの人に認知されてる戦国大名や戦国武将に負けない戦歴、いや、それ以上の戦歴を持っています。
成綱が登場するまでの宇都宮家を見て見ると、
12代目の満綱で正統が途絶えました。
その後の当主は一族から迎え、
満綱自身も短命でしたが、
持綱、等綱、明綱、正綱と続いたその後の当主も短命です。
短期間の間にトップが次々と変わってしまうのは、
力を失う結果を生むことは今も昔も変わらずです。
その代わり誰が力を持つのかは、
これも今も昔も変わらずでトップの身近にいるものだったりします。
宇都宮家の場合も家臣達が少しずつ力をつけていき、
主をも超えてしまうほどに強大になっている時、
成綱が表舞台に登場します。
成綱にとっては、
家臣達を再統制するのは急務の課題でありながら、
平和裏に解決できる生易しい状態では既になく、
血みどろの内戦によって家臣達を制します。
特に「宇都宮錯乱」と呼ばれる内戦は2年にも及んでいます。
その成綱の相手は、
宇都宮家を剋していると言っても過言ではないほどに強大になってしまった芳賀氏です。
こうした内戦を経て、
家臣の再統合に成功して内をしっかりと固めた成綱は、
外交の面でも凄腕の持ち主です。
当時の関東は、
関東の長として古河公方がいます。
成綱は古河公方3代目足利高基に自分の娘を嫁がせます。
生まれた子供が晴氏、古河公方4代目になる人物です。
外を固める上でこれほどの相手はいません。
後の話になりますが、
北条氏綱の娘が足利晴氏に嫁ぎ、
最終的に北条氏は古河公方の力を吸収してしまいます。
そういう北条氏の後々の動きを見ると、
成綱の外交能力の高さが窺い知れます。
もちろんですね、
宇都宮家の周辺にいる勢力にもしっかりと対応しています。
落ち目にあった宇都宮家を見事に再興させた成綱は、
まさにスターと言える傑物です!
今日もありがとうございます!
☆フォーチュン九鬼☆
「栃木の城+α」
管理人:九鬼トシユキ
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