江戸時代の壬生町は、
壬生藩の他に、
2年に満たないわずかばかりの期間ですが、
上田藩も存在しました。
上田藩主は西郷寿員。
大村藩主大村純長の子として生まれた寿員は、
東条藩主西郷延員の娘を正室とし、
西郷延員の婿養子となりました。
延員の隠居により、
東条藩主となった寿員は、
元禄5年(1692)2月に下野国に所領を移されたことで、
上田藩が成立します。
しかしながら、
翌年の元禄6年(1693)11月、
寿員の不行状が咎められたことで、
所領が1万石から5千石に減らされました。
これにより上田藩は廃藩です。
上田藩の陣屋は、
上田寺の北西にあったようですが、
その所在は不明です。
ちなみに上田寺には、
西郷延員のお墓があります。
さて、
2代将軍徳川秀忠の生母は、
西郷局と呼ばれています。
寿員が養子に入った西郷家こそ、
西郷局に繋がる家系です。
時代は遡り、
まだ徳川家康が三河時代の頃・・・
西郷局は西郷正勝の孫です。
西郷正勝の娘(西郷氏)と戸塚忠春との間に生まれた西郷局は、
同じく西郷正勝の孫である、
西郷義勝の継室となります。
西郷義勝が戦死したことで、
西郷局は未亡人となってしまいますが、
西郷清員の養女となり、
徳川家康の側室に迎えられ秀忠が誕生します。
この西郷清員の家系が、
清員(きよかず)-家員(いえかず)-正員(まさかず)-延員(のぶかず)と続き、
延員の養子として西郷家を継いだのが寿員(ひさかず)です。
今日もありがとうございます!
「栃木の城+α」
https://tochigi-burg.com/